第百十一話「大地の芸術祭」 |
行ってきました、越後妻有トリエンナーレ! 「成功していると言ってよい」と言ったようなクールなレポートが多いが、ポンチはもっと素直に、恥ずかし毛もなく宣言します。「サイコ〜〜〜ォですっ」(近藤正臣風に)。
きっと色々あったんだろうな、と思う。こんな壮大な計画、一筋縄ではいかないだろう。妥協もあっただろう。その結果がコレか…スゴいな。そう思うと、まず企画運営の心意気にぐっと来てしまった… 立ち上げ時の地元とのやりとりや、金銭問題や、きっとものすごい量の問題を解決しながらの準備だったのだろう。解決してない問題も誰かが抱えながら、ぐっと堪えて今も背負いながらの運営なのだろう。私はとても自由に、幸せ感一杯で見て回ることができた。ぐっと堪えている人々に「ありがとう」と言いたい。
えーと写真掲載してもいいのかな…と不安になりつつ、美術館でもパブリック・アートでもない、まさに大地の芸術のお祭りにゲット・レポーツ!
地図上で見るとあまりの遠さに愕然とするも、「首都圏から2時間半で行ける」というレポートを発見。「ウソコケ〜〜〜ィ」と、半信半疑でドライビング。噂は本当だった。横浜からも4時間掛からず。11kmの関越トンネルを抜けると空気や匂いが変わった。さぁ、もうすぐダゾ。 |
やっぱり現場はイイネ、現場は! ウラが見れるからネ。鉄パイプの方が人間に見えた(笑) |
道すがら、こんなアート(?)も。鑑賞者同士のコミュニケーションも深い。すれ違いに自然と挨拶も交わす。 |
歓迎されすぎて近づく事をためらわせてくれる、フリーダムな人形の数々。 |
そのあまりのフリーダムさに圧倒される。いったい誰がどんな心境で作ったのだ!? |
キョロキョロとアートを探しながらのオリエンテーリング。展示作品ではないものにまで目が行ってしまう。これは長靴を刺しただけのかかし。大きな鳥獣がいると思ってビクッとした。 |
水力発電所? ものすごい迫力と、人間の現代生活の源を感じる事ができた。 |
水力発電所の余ったパイプで作られたと思われる、発電所ワキの倉庫。ココでは「アート」と「工業、農業、工芸、生活」の垣根が感じられない。むしろ、分け隔てる方が不自然だと思わせてくれる。全てを一体化させる大地のパワーがある。 |
キン肉マンみたいなのもいる。 |
商店街の天井が低いので、通常はタテ仕様の信号を無理矢理ヨコ仕様に。普段こういうモノを無意識によく見ているというのがよくわかる。90度回転しただけなのに違和感を感じて見入ってしまう。赤青立体メガネみたいだネ。 |
小学校が、まるごとそのままボルタスキーの美術館に。2階の理科室だけは、あまりの恐ろしさに写真を撮る事すらできませんでした。小学校は現地の大人たちにとっても想い出の場所である。こういった形で建物が保存されるのはお互いの徳である。これから未来はもっと「お互いの徳」を発見して実行していかなければなりませんね。 |
田舎の展示は日本人作家と外国人作家の違いが顕著だ。外国人作家は農業や家屋といった日本の原風景、そして地震など、そのものズバリストレートに表現している事が多かったように感じた。逆に日本人は少ない。というよりは直接的な表現を避けるのは日本人独特の性質からか。 |
原広司氏による温泉付観光施設「越後妻有交流館キナーレ」。いつも「オォッ」と驚かせてくれる建築家だ。札幌ドームにはまた行きたい。 |
十日町は織り物の街。その仕事場の雰囲気がまた良いです。良いものは、こうやって時間を掛けて作られるのですね。 |
今回の旅でのベストグルメは「山菜のてんぷら」。400円(8品で)。美味かったです。全部の作品を見て回るのには1週間は掛かると言われるこの芸術祭、強行1泊で来てしまったわけでまだまだ1/3程度しか観れていない。残りは次回に…と思わせてくれる、とても実りのあるお祭りでした。そしてお米を買って帰路につきました。 |
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