第百九話「解体せよ ADビルディング」


ビルの前に、まずはデカサイコロの解体作業。studio BIG ARTを始めたときにメンバーが各々書き留めたメッセージを、8年前の約束通り読み返した。



サイコロがあまりにも頑丈で壊す事ができず、唯一の弱点であるサイコロの目をトンカチで潰し、いよいよ長年の封印が解かれる。




中身を視認すると発足当時の記憶も蘇ってくる。「おぉ、青春だったのだな」と思う(笑)



タムラ氏に作っていただいた看板もいよいよお役御免。この回転看板装置はいつかのためにそのまま保管しておこう。



まずは自ら解体作業。引越しのために手摺を全て撤去。ム〜、はじめから手摺を取っとけばよかった。手摺がないと非常に荷物の出し入れがしやすい。かといって、そんなに危なくもナイ。壁側に付ければいいんだしね。



ここからは業者さんによる解体。2階のアトリエはもともとイベントスペースとして利用していたフロア。壁面の劣化は…スゴい!




トイレもブチ抜き。



3階は何故か緑。ホントはこんな色をしていたのだね。




ところどころにビッグアートの残置物も。




いったいこのスポンジの大群はどこから!?




4階の個室三部屋ブチ抜き。アトリエを始めて数年はここに住みながら頑張っていました。



そして丁重にお礼を述べて帰りました。今、このビルに言いたいことは「頑張れよ!」の一言である。まるで手術を控えた友人のような存在だ。




studio BIG ARTの短期の仮アトリエとして横浜のZAIMに応募。期間的にも方向性もこれ以上のスペースはなかった。しかし残念ながら結果は選外通告… これほどショックはいつ以来であろうか…! ZAIMの13室は結局、予定の2倍・26組に貸与することになったという。デスクワーク中心のコミュニティ的な集まりになったのだろう。我々のように広いスペースが必要で、本気モノづくり系のアトリエは今回の条件では難しかったのかもしれない。落選した直後から数日間は、IZAMのコスプレをして「すみれSeptember Love」を唄いに行ってしまいそうなほどの動揺ぶりだったがさらに数日間を経てようやく納得。しかし、横浜市のこういった動きはしばらく活発そうだから新アトリエができても積極的にこういった運動に関わって行きたいと思っている。



第二候補の平和島・ガソリンスタンド物件を内見。元アトリエメンバーのマツダ氏との悪巧みだ。ここなら共同アトリエやショールムーム、東京←→横浜の中継事務所としてもバッチリだった。しかし、残念ながら時期が合わず断念。



結局、特殊工作部のアトリエは第三候補の「反町アトリエ」に決定。ZAIMの選定結果通知が大幅に遅れ、しかもADビルの解体も迫っていたため二段階の引越しを余儀なくされると言うタイミングの悪さ。予定も組めないので引越業者に任せる事もできず、アトリエの機材、材料、什器を全て自前で引越し作業。しかも2倍。この引越しは間違いなく「火事場の馬鹿力」が発揮された… 寿命が縮んだ事、請け合いである。それにしてアミノバイタル・プロ 3600mgの威力がスゴい。

反町アトリエは元々はダンス教室だったようである。床は板張りで、片方の壁面は全て鏡。入居して間もなく、ばっちりオメカシしてヒラヒラ衣装の淡谷のり子似のおばさんが踊る気満々で訪ねて来た。しばらくはこの狭いアトリエで、できる限りの造形・創作と、最高のアトリエを作るための準備をしたいと思います。




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